刈谷地区 心身障害児者を守る会

活動紹介

共歩みの50年

一日保育について

「さざなみ」や家族とともに

一日保育は、家から出る機会の少ない重度の障がいのある子どもたちが出会い、集う機会として始まりました。当初は守る会と「手をつなぐ親の会」の共同事業として毎月1回、会場を移しながら行われました。レクリエーションが中心で、さざなみグループの若い仲間や、主婦らがボランティアとして子どもたちを支えました。しげはら学園を借りられるようになってからは月3回の一日保育へと拡大。そのなかから「毎日集まれる場所がほしい」という声が高まり、1973年(昭和48年)のひかりの家開所の動きへとつながっていきました。その意味では、一日保育こそ守る会の活動の原点です。
1983年(昭和58年)に、ひかりの家(現ひかりっこ)が現在地(小山町)に移転した後も、月に2回の日曜日に一日保育は継続して開かれていました。主にひかりの家の中で行うことが多く、まれにハイキングなどに出かける形で開催されました。

さざなみグループによる一日保育の様子
一日保育の様子

ひかりの家の中で行う一日保育は、集団遊びやもの作りが中心でした。ひかりの家の卒園児・者を中心に、大体固定メンバー10人程が利用していました。ボランティアグループ「さざなみ」のメンバーが1~2人応援に来ていました。 しかし、参加児・者はほとんどいなくなり、開店休業のようなありさまでした。参加児・者の年齢が高くなり、それぞれに活動する場が広がり、一日保育の魅力が薄れたためと考えられました。
1986年(昭和61年)度からは、月1回の開催となり、伊藤寿美ゑさんが中心となり山登りや、動物園、雪遊びなどを企画し、ひかりの家に関連する誰もが参加できることにしました。こうして、現在も続けられています。
一日保育はただ楽しむだけの「遠足」ではありません。達成感や家族の絆、支え支えられる関係を実感できる企画を常々考えて行われています。

登山について

助け助けられ登れた嬉しさ

歩ける人も歩けない人も共に山の頂きをめざす「ひかり輝け登山」は2007年にスタートしました。以降毎年夏に開かれ2014年の夏までに8回を数えます。

ひかり輝け登山の様子

参加家族より

8年前に伊藤寿美ゑさんから「お父ちゃんが頑張らないかん!」と声がかかりました。しかし、娘の茜のような、歩けない子たちをどうやって山に連れて行くのか・・・。おんぶボランティアさんは、背負子10キロ、娘を乗せると合計50キロをおぶって山頂まで。5~10分毎におんぶを交代し、背負子の両サイドで支えて行くため、最低4名のおんぶボランティアさんが必要です。他にも、昇のに励ましが必要な子と歩いてくださったり、自炊宿での食事作りをしてくださるボランティアさんも。このようにたくさんのボランティアさんと、資金面で支えて下さっている守る会のおかげで「ひかりかがやけ登山」は成り立っています。

ひかり輝け登山記念撮影
おんぶして登山する様子

「行きたい子は皆連れて行く」という伊藤さんの言葉で1回目が総勢150人の大所帯(大型バス3台)となったのは、伊藤さんの人望の厚さでしょう。リピーター率の高さは、ディズニーランドにも負けていません。参加者の半数以上は毎年のように来てくださり、その後の7回の登山も毎回100人以上の参加者です。山登りの気持ち良さだけではなく、皆で作り上げる登山プロジェクトだからかもしれません。1年に1回の仲間との再会、新しい参加者との出会いは、まるでひかりの家のバザーの様。初めは、娘に「山頂からの「景色を見せてあげたい」という思いでしたが、今では純粋に親子で登山を楽しんでいます。第1回の駒ヶ岳登山の下見の時に、伊藤さんがこんなことを言っていました「助けられて登れた嬉しさも、助けながら登れた嬉しさも、どちらも一生の思い出。お互いの理解には一番の早道になる。」と。障がいの有る無しに関わらず、参加者全員が楽しめるのが「ひかりかがやけ登山」です。

ひかりかがやけイベントについて

守る会では、年に、1~2回「ひかりかがやけイベント」と呼ぶ催しを開いています。コンサートや講演会が中心です。収益を法人ひかりの家の活動資金に回すと共に、福祉や障がいのことを広く市民の方々に知っていただくことを目的にしています。 チャリティー活動や被災地支援などで活躍してこられたアーティストの高石ともやさんや加藤登紀子さんに、来ていただいたこともあります。2014年に若くして亡くなられたオペラ歌手の中島啓江(けいこ)さんは美しい歌声だけでなく拒食症で苦しんだご自身の体験も話してくださいまた。ドキュメンタリー映画監督の小林茂さんは重度の障がい者が地域で生きる姿をリアルな映像で伝えてくれました。 2023年1月は森山良子in刈谷を開催。1400名を超えるお客様が来場され、ご好評をいただきました。 2019年まで40年以上続いたひかりの家チャリティーバザーが、諸事情によりできなくなり、今後は、このイベントの収益が守る会としてひかりを支える最大の資金源となります。イベントを通じて1人でも多くの人がひかりの家を支える仲間になっていただけたら嬉しいです。

守る会の会報について

連絡員さんとともに

連絡員制度は1967年から始まりました。「会報の送料がかかるなら、私たちが配ります。送料分はこどもたちのために使ってください」と有志の方がおっしゃってくださったのがきっかけです。2015年3月現在で96人が担当して下さり、守る会の会費を集めるとともに、年4回(1月、3月、6月、10月)の会報を配っていただいてます。地域の方と守る会の近所の声をつなぐ架け橋になってくださっています。 会報は、法人事業や守る会事業の案内や報告等を通して、守る会、ひかりの家の活動を広く周知し支援の輪を広げていくことを目的として発行されます。 守る会会員や、ひかり職員、保護者等関係者に向けて現在毎回2200部発行されます。